行事の報告
新しい時代、令和元年6月9日に、当寺は大黒天さまの建立と、白衣観音さまをお迎えする法要を執り行いました。
梅雨寒の日でありましたが、雨に降られずに信者の皆さまと行者をあわせ、300名あまりで賑やかにお祝をいたしました。
そのもようを、皆さまにお写真でお見せします。
当寺には、大黒天さまの御座所がありませんでした。長い間、御座所を作らず失礼をしておりましたが、信者の皆さまからのご奉納により、この度はお稲荷さんの隣にご神体をお祀りすることになり、開眼法要になりました。
皆さまには今後、お参りの節には大黒天のご真言【オン マカキャラヤ ソワカ】と、お唱えしながら、大黒天さまの頭やお腹をやさしく撫でてあげていください。
突然、白衣観音を拝むようになったわけではありません。昭和52年7月、住職が仏門に入るずっと前にきっかけはありました。つわりがひどく、何度も流産しかけた住職を思いやり、職場の同僚たちが住職のために慈眼院(高崎白衣大観音)で安産祈願をし、白衣観音さまを迎えてきてくれました。その後に生まれたのが、住職の次男です。
平成30年の11月頃、寺の跡取りについてご本尊のお不動さまにご報告をしました。するとお不動さまから
「お前さまは観音さまに何かお願い事をしたことがあるか」と、聞かれました。
「ありません」と答えると
「ならば、なぜ祀っておるのじゃ」と。
お不動さまは続けます。
「祥泉は、体力的に荒行は無理だから、読経をいたせ。始めに白衣観音経を読誦すること。白衣観音は観音さまの母、阿弥陀如来の妻、とても慈悲深い仏じゃ。これから願い事があるときは信者も白衣観音に手を合わせ、経を1,000巻唱えることじゃ。すれば願いは叶えられよう」というありがたいお言葉をちょうだいしました。
思い返せば白衣観音さまと、ご縁が繋がっていたのでしょう。次男の嫁、美幸さんこと「祥泉さん」が令和元年5月に僧侶となりました。
近年、子どもができずに悩み、参拝にいらっしゃる人や、難病に苦しまれて足を運ばれる人が増えています。そういった人たちにも白衣観音さまを拝んでもらい、功徳を積んで願いを叶えていただきたいと思います。