地蔵菩薩の功徳とは
お地蔵さまに手を合わせると、お救いくださる
お地蔵さまは「一稱(しょう)一礼」すなわち「拝むだけ」でお救いくださるという、尊い存在です。
特にそのお姿を像に造るということは、極めておおきな功徳を生じます。それは、あなただけではなく、多くの人々にお地蔵さまを見て、拝む機会をつくることになるからです。
自分以外の人のためにお地蔵さまを作ること、例えば死に臨んでいる人のためにお地蔵さまを作れば、臨終の苦しみを除いて善い来世が得られることが、教典に明白に書かれています。
ましてや、子孫のために造像する善行は、これ以上の宝物はないぐらいの子孫への贈り物になるでしょう。
供養について
供養はご先祖のためや水子のためだけにあると思っていませんか?
供養は自分のためにもなります。供養は死者そのものを拝む訳ではなく、仏さまを拝む修行の功徳や善行を死者に贈って差し上げることです。
追善供養の功徳の7割は、本人に還付されます。追善供養は最高の開運法になります。そして追善供養の大きな目的は「滅罪」すなわち罪滅ぼしです。
人間は生きる上では必ず他の生命や人間に迷惑を及ぼします。特に我々は他の生命体を食べないと生きていけません。知らず知らずのうちに悪業を積んでいるわけです。
善因は善果を、悪因は悪果をという因果の法則は絶対です。これが不運や不幸の原因になります。ご先祖さまや亡き人の残した罪業を消滅することは自分自身の霊的リフレッシュにほかなりません。亡き人々への供養は知らず知らずのうちに自分自身の供養になるのです。
中絶により水子を作ってしまったことは殺人の罪を負うことでもあります。自分自身の滅罪を第1に供養しなくてはなりません。また、生業のために動物・植物の生命を奪う場合、感謝と供養を忘れてはいけません。滅罪もさることながら、繁昌へとつながる道となるからです。
陰徳
自分の名前を出さずに行う善行を「陰徳」と言います。
名前を公表する善行を「陽徳」と言い、陽徳はみんなに賞賛されたりよい評判を受けると言う結果を得てしまっているため、その徳はその人一代限りです。陰徳は目立ちませんがその余慶は子孫にも及びます。陰徳は未来への大きな投資となるわけです。
自分の家の仏壇やお墓よりも、たくさんの人が来るお寺に善根を積む方が、それに触れる人が多いため、お徳も当然大きいものになります。
地蔵尊像の建立
この度、大きなお地蔵さまが建立され、よきご縁が出来ました。たくさんの方々が、お地蔵さまのお姿を見、拝むことによって、大きな功徳がたくさん生まれます。小さなお地蔵さまの建立・協力することにより拝んだ人がつくった功徳の一部が廻ってやってきます。
ご希望の方は、大・中・小の大きさでお地蔵さまを建てることが出来ます。毎日お経があがるうえに、ご参詣の方々が水をかけて拝むことができます。尊像に水をかける行いは沐像法といい、罪を浄めるお徳がいただけます。穢れなき仏に水を浴すると、我々の罪穢を浄めていただけるわけです。
尊像を造ることはなにより「自分自身の供養」になります。
印佛のおすすめ
仏さまのお姿をハンコで押して作る善行を印佛といいます。陰影を一つ押すことに仏像を一体造ったことになるため、簡単に大きな功徳を積める修行です。この修行は今では珍しくなってしまいましたが、かつては盛んに行われていました。有名な東京巣鴨の「とげぬき地蔵」も、印佛の霊験が元になっています。
皆さんが建立した印仏は、開眼供養を行ったのち、浄い海や川に流す流水灌頂で供養されます。尊い地蔵尊のお体に触れた水は、下流のあらゆる生き物やさまよえる霊魂に善い恵みをもたらし、それらの救済の功徳が巡り巡ってやってきます。万霊に対する供養は、大きな陰徳を生みますので、特にお勧めいたします。
今回、印佛のハンコが用意されています。2個組になっていて、1つはご自宅で修行し、もう1つはお寺に置いて、多くの皆さまに利用していただきます。できるだけみんなで功徳を積んで分かち合いましょう。
印佛のお作法
- 手を洗い、口をすすいで身を清める。
- できれば、お香を焚いて、印佛のハンコ、半紙を香煙に当てる。
- ご真言「おん かかか びさんまえい そわか」を唱えながら押す。
- 最後に、できあがったお姿に合掌して、自分自身の罪の消滅と、先祖の回向やお願い事をお祈りする。
お姿は、綺麗な箱などに集めておいて、お寺に奉納しましょう。開眼供養の御賽銭を添えると、より丁寧でしょう。