息をすること
私たちは毎日呼吸をしています。息をすることで生きています。呼吸をしないということは、死んでいるということですね。 どんな生物でも、息をしているコトが生きている証です。
皆さんは、生まれてすぐに、「こうして吐いて。そしてこうして吸って!」と誰かに教わりましたか?誰に教えられたわけでもなく、今、この時もしている息。不思議だと思ったことはないでしょうか。
子どものことを「息子」と言います。これはそのまま、父と母の息の子ということです。相手を敬う時には「ご子息」といった言い方もします。 父と母にもまた、それぞれに両親がいて、父と母もその「息子」です。
どこかでこの【息のリレー】が途切れていたら、自分の息は今ありません。これを思うと、今、しているひと呼吸がとてつもなくすごいことに気づきます。どこから、いつから始まったのか。とても不思議で想像もつきません。
息をする行為は、自分と他とがつながることだと思うのです。 自分と空気がつながる。空(空気)はどこまでもつながっています。 誰かと「息が合う」というのは、日々の暮らしの中で、とても嬉しく、楽しく、すばらしいことです。友達であっても、同僚であっても、夫婦や恋人であっても、息の合った仲であればすばらしい仕事を達成したり、家庭や環境が作れます。
「息が合う」ということは、気持ちが通じる。お互いが信頼しあって、助け合っている。ということです。
私たち行者は、日々、お不動さまと息を合わせることを目的として修行します。
【気持ちが通じる。お互いが信頼しあって、助け合っている。】これが目的です。
吸う息はすべてお不動さまからいただく息。吐く息は全てお不動さまに受け取ってもらう息。こう思ったとき、吸った息を、お不動さまが喜ぶように、最大限に大切に使わなくてはいけない。また、吐く息は、最高の感謝をもって返さなくてはいけないと思うのです。 この場合の行者というのは、お坊さんや、山伏の格好をした、いわゆる行者のことではありません。心の底からお不動さまを信じ、日々の暮らしを精一杯生きている人のことです。 こう思うと、お不動さまは、常に私たちと一緒にいるコトに気づきます。そして、今しようとしている行動がお不動さまの喜ぶ行動か?悲しむ行動か?と考えさせられます。 お不動さまの喜ぶ行動が無意識にできるようになると、運が開けます。
しかし、これがなかなかできないのが私たち人間です。何かにつけて「カッカ」したり、「イライラ」したり、「セカセカ」したり、「ハラハラ」したり、「クヨクヨ」したり。これが、現実です。
【カ・イ・セ・ハ・ク】と覚えてください。 こんなときには、右に書いたことを思い、ひと呼吸ひと呼吸を深く、大事にしてみてください。そんな気持ちになった本当の原因と、対処法をお不動さまが教えてくださるでしょう。