加持祈祷とは
仏の慈悲に思いを寄せる
加持祈祷と聞くと、すぐ護摩を思い浮かべるかと思いますが、護摩による祈祷だけが「加持」の意味ではないのです。
弘法大師空海は著作「即身成仏儀」の中で加持について下記のように説明しています。
加持とは大日如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加と言い、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。すなわち、仏の慈悲の心は常に衆生に注がれているが、そのことを「加」と言い、信心深い人がその仏の慈悲の心をよく感じ取ることができることを「持」と言う。
しかし私たちの心は、欲望・嫉妬心・間違った考え方(邪見)に覆われて、仏の慈悲心に気付かない。何も仏に限ったことではない。他人の優しい気持ちに気付かず、我儘な振る舞いをして、後で自分自身の至らなさに後悔する。
仏の大いなる優しさに満たされるのは、信心が強く、心が平静で散乱することなく、一心に仏に集中できる人だけです。だからこそ、真言密教の行者は、仏の慈悲心を感じ取るために、手に印契を結び、口に真言を唱え、心を集中します。この三密行を通して、仏の身体と言動と心が、俗なるものから、聖なるものへと合一するのです。
このことを真言密教では三密加持と言います。こうして私たち真言密教の行者は仏と心を通わせた後に、様々な願い事を仏に聞き届けてもらう。これが真言密教の加持祈祷です。
波切不動寺の行者は一心に仏に祈ります。
信者もまた心穏やかに仏に向かいます。
するとそこに不思議が生まれるのです。
ごくまれに、願いの叶わない人がいます。仏の御心がまだ待てと言っているのか、その願いに邪心があるのか、願いが叶わない時はどこに問題があるか、自分を顧みることも大事です。
波切不動は増長慢(威張る人)と不邪淫(不倫)をしている人をとても嫌います。気をつけて下さい。